田舎の現実

私の田舎の、実家の後ろは全て山だった。
かつてはどこまでも続く山で、よく遊んだ。
よくある田舎の遊び、かくれんぼや秘密基地を作ったり、セミやカブトムシを捕まえたり。
小学生の頃は帰ると毎日その山で遊んでいた。
みんなで山に登り、私だけ下りられなくなって、お母さんが帰ってくるまで暗くなった山で一人待っていたこともあった。
みんなでお菓子の缶にそれぞれ好きな物を詰めて埋めたこともあった。10年経ったら堀り出そうと言って。
いろんな物が埋まっている山。
いろんな思い出が詰まっている山。
そんな田舎の山は今では見る影を失い、全くの更地になってしまった。
今から15年くらいになるだろう。
山の土を、高速道路を作る土台として使うようになったのだ。
それを聞いたとき本当に心から反対した。
なぜ抗議をしないのかと祖母を怒ったこともあった。
私達が言ってもどうにもならない。町が決めたことだから仕方のないこと。この田舎の町はお金がないから土を売って少しでもお金にするのだ。
そう言っていた。
お金のために山を、大切な自然を売ってしまうのか、壊してしまうのか、とても切なかった。
怒りが込み上げて仕方がなかった。
それから毎日、朝から夕方まで何十台ものダンプカーが行き交い土を運んで行く。
そして山を崩す度に雷のような大きな音が部落中に響く。
田舎に帰り、見る度、山の風景は変わり、辺りは木ではなく土しか見えなくなって行く。
もう少しで、山を越えたところにあった部落が見えそうだ。
あんなに遠かったはずの部落がすぐそこに見える。
豊かになると言うことはこう言うこと。
何かができる代わりに何かを失うのだ。
今までは目先の便利さばかり考えていた。
しかし、いざ身近でこう言うことがあると気づかされる。
便利さの代わりに失っていることも大きいことを。田舎だけではなく都会だって、今私たちが住んでいるところ、走っているところ、遊んでいるところ、かつては自然豊かで木々が生い茂っていたところなのかもしれない。
あんなに反対していた高速道路開発も、道路ができてしまえば私も何も考えず走っている。
人間はそうやって便利さを追及して行くのだ。